昭和の彫り師達

 写真は、彫長さんの作で67歳か68歳頃。 初代彫長さんは、凄いキャリアを持った人だよ。何故かと言えば、九州地方で40歳まで高校の教師をやられていた方で、英語を教えていたのさ・・・マジ凄いと思う。私は英語は苦手だったけれどもね、それに勉強も嫌いだったしさ、だから無条件に先生といえば、尊敬しちゃうんだ。(笑) でね、それまでのキャリアを捨てて42歳の時かな確か、地元の九州でなく東京で彫り師としてマスコミデビューしたのだから、まさに驚きだよ。40を過ぎて人生の方向転換はキツイよ。女房子供もいるんだぜ、失敗したら取り返し付かないし、自分だったらそんな無謀はやらないと思う。 でも彼は、関東では名人と言われるまでに名を売ったのだから、エライよ、凄い事だと思うよ本当に・・・  当初、浅草の彫貞2代目を名乗っていたが、何があったのか(初代 彫長)の名を使い始めて、最初は(浅草橋)、次に(新宿)それから浅草に移って浅草と言えば(彫長)と言われるほどに成り上がった。昭和の彫り師と言えば、関東では(2代目横浜 2代目彫よし)で、先代の息子さん。そして(新宿 初代彫徳)、大宮の(初代大門)愛称は、八ちゃん。今の(3代目彫よし)の兄弟弟子ですね。そして(初代彫長)、この4人は手彫り職人で、(2代目彫よし)と(大門さん)のボカシは、本当に上手かった。彫長さんは、九州男児らしく叩きつけるような力強い彫り方で、初代彫貞さんの影響があるのかな・・・? と思わせるものが有りました。で5人目は、誰よりも突き抜けて上手い(目黒の2代目彫芳先生)機械彫り。合わせて関東5人衆と私は呼んでいます。彫芳先生のところには、世界中の有名彫り師が勉強に来ており、当時、日本だけでなく世界のなかでトップに君臨しておりました。私も勉強に通う一人でした。先生は、お父さんも浮世絵師であり、更に彫り師でもありました。子どもの頃から絵の勉強に手習いに通い、長じて親の仕事を継ぎましたが、我が子には、自分と同じ苦労はさせたくないと、勤め人にさせたと聞いております。正直、手彫はあまり得意ではなく、戦後、日本に入ってきた機械彫りに変え、才能が開花したのです。今でこそ外国では、美術学校を出て彫り師になる方が増えましたが、それはここ20数年の話で、それ以前は、ヤクザなアウトローとみなされ、まともな人が付く職業とはみなされておりませんでした。日本は、刺青に対して一般的に不寛容で、外国並みになるのは、あと100年はかかるのではないでかと思う。本当に・・・

 ところで、明治の初めに刺青禁止令が出され、解除されたのは昭和20年の終戦になってからだ。80年もの間、刺青は禁じられていたわけですが、なぜ急に解除されたかと言えば、彫芳先生のところに(GHQ 、アメリカ占領軍)の将校が訪ねて来て、(兵隊達が、日本記念に刺青を入れたいのだが、見つからないのだ)という。法律で禁止されている。と答えると、(解除する)ということになったそうな。まぁ〜メデタシメデタシだが、未だグレーゾーンだわさ、いっそ許可制にしてくれた方がよかったと思うよ。


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